意味
邯鄲の歩み
むやみに他者の真似ばかりしても、それが身につかないどころかそのうち自分の本分すら忘れてしまい、結局どちらもダメになってしまうということ。
使い方
文章中や会話中でどう使うのか?
「邯鄲の歩み」は、
というような使い方をすることが多いです。
何を表現できる?
「邯鄲の歩み」は、
等を表現できます。
使用例
使用例1
彼は高校入学以降、国語と社会科の成績がトップクラスだった。しかし、理系学部から大企業に就職した卒業生の話に感化されて理系に転向すると、成績は邯鄲の歩みとなってしまった。
使用例2
新たに就任した社長は、ろくな事業計画も立てないまま、いわゆる”最新技術”に飛びついた。その結果、成果が出ないどころかこの会社が持っていた数少ない競争優位まで失ってしまい、邯鄲の歩みで業績は酷いことになった。
使用例3
キミは自分の強みを伸ばすことに集中すべきだ。現時点で中途半端に新しいことに手を出しても、待っている結果は邯鄲の歩みだと思うね。
出典
そうじ【荘子】
中国、戦国時代の思想書。一〇巻三三編。荘子とその学統に連なる後人の著作。寓話を数多く引用し、変幻自在な筆法で、人知の限界を語り、一切をあるがままに受け入れるところに真の自由が成立すると説く。のちの中国禅の形成に大きな役割を果たした。南華真経。
引用元:松村明 三省堂編修所(2019) . 『大辞林4.0』 . 三省堂
原文の意味
あの若者が邯鄲に歩き方を習いに行ったという話をご存じでしょう。彼は邯鄲の人々のような歩き方を習得できなかった上に、自分本来の歩き方すら忘れてしまい、結局這って故郷に帰ることになったのです。